株式会社いわし(以下「僕」という。)と株式会社さわら(以下「きみ」という。)は、秘密保持契約(以下「本件契約」という。)を以下の通り締結する。
第1条 秘密情報
本件契約において僕たちがまずしなければいけないのは、「秘密情報」とは何か、について決めてしまうことだ。
あるいは僕が思う秘密情報ときみの思う秘密情報はホッキョクグマと蛍光灯くらい違う可能性だってある。ホッキョクグマと蛍光灯。バナナとペーパークリップ。ツイッターと六法全書。かっこう。
①僕の仕事に関して、僕が持っている情報であり、
②僕が、きみに対し、僕たちの相互協力の検討目的(以下「本件目的」という。「相互協力の検討……?」きみは一瞬怪訝な顔をしたが、僕は構わず続けた)のために、
③文書、口頭、電磁的記録媒体その他の開示の方法及び媒体を問わず、開示されたまるっきりすべての情報。
「まるっきりすべての情報」きみは再び繰り返した。きみが僕に対して不満を持っていることはわかる。でも僕は続ける。これは宿命的契約であって、選択の余地がない。
第2条 秘密保持
1.きみは、僕の事前の書面による承諾を得ることなく、秘密情報を、だれかに開示または漏洩してはならない。たとえ相手が猫であってもだ。「紀ノ国屋で買ったレタスにならどうかしら?」「レタスでもだめだ。特に紀ノ国屋のレタスは賢すぎる」
2.あるいは、きみは、法令または裁判所や監督官庁等の公的機関により秘密情報の開示を命じられた場合には、命じられた範囲で秘密情報を、公表または開示できる。
国家権力なんてクソだ。五反田君の声が聞こえた。僕は構わず続ける。
第3条 使用目的
きみは、僕から受領した秘密情報について、本件目的のためにのみ使う。その他の目的のために使用してはならない。
「待って、そんなのっておかしいじゃない。私はあなたと協力するためだけに生きているわけじゃないわ。あなたから情報をうけとった瞬間、それは液体のように私と一体になるのよ。あとから分離することは不可能だわ」
「きみのいうことはわかる。でも努力するんだ。僕の情報を、きみの細胞と切り離す。難しいけど、みんなやっていることだ」
きみはしばらく黙り込んでいた。僕のいうことにひどく腹をたてているようだった。
第4条 損害賠償責任
本件契約に関連して、僕かきみが、どちらかに対し損害を与えた場合、もちろん一切の損害を賠償しなければならない。弁護士費用等紛争解決費用も含めて。
「弁護士って、中央林間の牛河さんのこと?私あの人苦手だわ」「彼だけが弁護士じゃない。ほかにもいる」「弁護士の知り合いなんていない」きみはつまらなそうに窓の外を見た。弁護士の知り合いがいない…?
僕の周りは「知り合いの弁護士にきいた」という枕詞をつけて話し始める連中だらけだ。
あるいは、「知り合いの弁護士」というのは架空の存在であり聖なる正義のメタファーなのかもしれない。
第5条 有効期間
本件契約の有効期間は、2022年1月12日から1年間とし、3ヵ月前に僕かきみが何か言い出さない限りは次の1年も続く。
「ねえそんなのって変よ。情報なんて来年には何の価値もなくなっているわ。そうでしょう?こんなのってばかみたいよ」きみはまだ腹をたてていた。それもいつもよりずっと深い怒りだった。
僕は言った。
「これが僕たちの雛形なんだ。修正はできないよ」
「ひどい」
その通り。ひどい話だ。でも仕方がない。
第6条 専属的合意管轄
本件契約に関連して生じる紛争については、東京地方裁判所を第一審の専属的合意管轄裁判所にしようと思う。
そこならホッキョクグマはいない。
「蛍光灯ならあるわ」「それなら安心だ」きみはしばらく何かを考えているようだった。管轄裁判所について、あるいは東京におけるホッキョクグマ出現率について。
僕はすっかり冷めたコーヒーの残りを飲んでしまうと、することがなくなって手元の印鑑を右から左へと転がす。
きみは電子契約がいいと言ったが、僕はきっぱりとそれを断った。僕は電子契約を好まない。
別れた妻は僕のそういう考え方を、トレンディーじゃないと言っていた。確かにそうかもしれない。好むと好まざるとにかかわらず、僕の考え方はトレンディ―じゃない。
「収入印紙はどうなるの」長い沈黙のあとで、きみがぽつりと言った。
「いらないよ」
「非課税なのね」
「不課税」僕は訂正する。
「あなたって本当にいやなひと」
本件契約の成立を証するため本書2通を作成し、当事者が記名押印の上、各1通を保有する。やれやれ。
了
法務の求人増えてますね。求人メールを送らないでください、心がぐらぐらするから(メール解除すればいいじゃないかって?ワタナベ君、きみって本当に女の子の事をわかってないのね)。
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普段は時短家事と楽天ポイ活に関する記事を書いています。