面白い映画と面白い小説が好きです。
なんでかというと、すっごく面白いと、すっごくいい時間を過ごした気分になれるからです。
特に小説が原作の映画だとなお好きです。
なんでかというと、両方をより楽しめて超お得だからです。

セットでお得で超おもしろい映画と小説の話をします。
今日は吉田修一著「怒り」です。
なお、このシリーズはおおいにネタバレを含みます。できるだけオチとか犯人とかヤスの話はしないようにしますが、一切の前情報を憎んでいる方はルンバのネタバレをお楽しみください。
映画「怒り」のあらすじ
八王子郊外で若い夫婦が自宅で惨殺され、犯人は逃走した。1年後、房総、東京、沖縄に身元不明の3人の男がそれぞれ現れ、訝られながらも次第に周囲に受け入れられ、それなりの人間関係が作られていく。ある日、警察が八王子事件の犯人の整形手術後のモンタージュ写真をテレビ番組で公表したのをきっかけに、それぞれの人間関係に揺らぎが生まれはじめる。
Wikipediaより
2007年に起きた千葉県市川市のイギリス人女性殺人事件が執筆のきっかけとなったという小説「怒り」が映画化されたもの。
この物語のメインテーマは、「信じる」。
別々の町で暮らす、別々の人間が、ひとつの事件をきっかけに「他人を信じること」についてもがき、苦しみ、葛藤して信じたり信じきれなかったり裏切ったり裏切られたりする。
森山未來・松山ケンイチ・綾野剛の……例の容疑者とのなんとなくの親和性……すごい…
著者ご本人が映画化にあたって「オーシャンズ11みたいなオールスターキャストにしてほしい」と希望したそうだが、まさに、これ以上ないだろってくらいのオールスターキャスト。
上述した3名のほか、渡辺謙、宮崎あおい、妻夫木聡、広瀬すず、全員主役。
それぞれの町で、全員主役級の俳優陣が、それぞれの「マイノリティ」な人々を演じている。
実際の殺人事件をモデルにした物語の難しさ
実際の事件をモデルにした映画・小説はこの世にたくさんある。すると私のような素直で浅慮な受け手は、フィクションなのにそれを事実のように受け取ってしまうことがある。
なぜ犯人はその人を殺したのか。なぜ犯人は人を殺すような人間になったのか。
何か理由があると、すっきりした気分になる。でもそれは真実ではない。人が人を殺す理由なんて、そんなに簡単に理解できるわけがない。
私がこの小説を好んでいるのは、そういうことを、気軽に、あるいは適当に描いていないからだと思う。
(なのでここでネタバレだけど、例の事件の真相を…みたいな感覚でこの作品を見ても、何もわからないと思う。作品の口コミでも、「肩透かしだ」というようなことをよく見かけたが、私はそこがいいと思っている)
映画「怒り」で気になった点
私は本作については映画を先に観て、それから小説を読んだ。
小説と映画が同一の物語ではない、という前提はおいておくとして、映像化するときにはかなりの部分が省略されることが多い。
映画では、女性が、同棲相手のことを、指名手配犯に似ていると突然警察に通報するシーンがある。
私はここで「え、そうはならんやろ」と思った。突然。何も聞かずに。好きなんちゃうんか、と。
でも、もちろん「突然」ではない。映画の中で説明や描写がなされてないだけで、物語の中で、彼女がそれを葛藤しつつ決断するに至るまでの思考プロセスがあったはずだ。
あとから小説を読んで、「描かれていない部分」を補完する
映画では一切描写のなかったシーンだが、小説では、なぜ女性が警察に通報するに至ったかのエピソードがかなり丁寧に描かれている。
そこで私自身の想像力の浅さを思い知る。
映画と小説は別ものである。しかし、描写されていない部分の「解釈の一例」ではある。「そうはならんやろ」が、「まあそういうことなら、そうか」と思う。
SNSやっていて思うこと
私は強火のツイ廃であり、たまにバズったり炎上したり、ちょっとだけ「いいね」が伸びたりすることがある。
インプレッションが1万を超えてくると、ときどき「そんなわけないだろ」「嘘乙www」「〇〇すればいいのに」「〇〇はありえない」などといったリプライ・引用がつくことがある。
ツイッターは140文字の世界だ。ツリーをつなげるにしろたかだか1,000文字。そこに書かれていないこと、あえて書いていないこと、無意識に省いたこと、その余白に生まれた物語は、書いていない以上、書き手ではなく読み手だけの物語だ。
映画→小説、これを何度か繰り返してるうちに、自分の想像力の限界を知り、表現の奥行を知る。一見つじつまの合わない出来事も、言葉を重ねればそういうこともあるかもなと納得する。
逆に、言葉を省けば省くほど、つじつまが合わなくなる。でも、つじつまが合っていないことが、それほど優先されるべきことじゃないときもある。
そこに書いてないことは、書き手以外、知らないことなのだ、という当たり前のことを、思い知る。
なので、最近はツイッターのクソリプ・DMも気にならなくなりました。私が書いてないことは、あなただけの物語なので…。
映画を最初に見る良さ、先に小説を読む良さ
映画も小説も大好きだけど、評論するほど真剣じゃなく、知識も浅い。
なので、薄っぺらさが露呈する前にこのエントリーを終わりにしなければ。
映画を先に観ると、小説を読むときにすでに俳優たちがそれを脳内で演じてくれる。
小説を先に読むと、私の想像した世界に、俳優たちがやってくる。
「ノルウェイの森」なんかは、小説を読んだだいぶあとに映画を見たけど、もう今となってはワタナベ君は松山ケンイチでしかないし、緑は水原希子でしかない。
どちらも良い。がっかりすることもあるけれど、それでも楽しい。全部ふくめて超楽しい。この世に映画と小説があり、それをこんなに気安く享受できる時代に生きていることを、超ありがたいと思う。
小説をたくさん読みたいけど時間がない
さてさてそんなわけで話をもどす。
映画のあとに小説を読んだ。理解が深まった。もう一度映画を観てみると、全然違う物語に見えた。
たぶんこれ、3往復くらいできる。したい。でも忙しい。だってほかにも気になる映画・小説はまだまだある。
なので、最近、2回目の小説はオーディブルで聞くようにしている。通勤電車や家事をしながら物語が聞けるので、時間がない現代人にちょうどよい。
聞く読書ならさらに理解が深まる。登場人物を連れて歩ける
小説を読んでいると、つい、先が読みたくなる。夢中になると、細部を読み飛ばしてしまうことが多々ある。
オーディブルだとそういう意図的な読み飛ばしができないので、一度読んだ小説でも新しい情報が入ってくる。これは新鮮だった。
早さも調節できるので、私は大体1.6倍くらいにしてます
聞いてる時間は、綾野剛が、妻夫木聡が、渡辺謙が、広瀬すずが、脳内をずっと駆け回っている。会社につく直前まで物語の世界に浸れるというのはとてもよい。
目を使わない娯楽がほしい
あとこんなブログ読んでる方なんかたぶん普段めちゃくちゃ目を酷使してると思う。スマホばっかり見てるので、本当に目が疲れている。
寝る前はできれば小説を読みたいけど、もう目が疲れてどうしようもないってなとき(ほぼ毎日)、暗闇で聞く小説、最高です。
何往復したい小説&映画をもっと知りたい
映画と小説を何往復もしたい…という作品に出会えるのは大変に幸福で、以下の作品も何度も往復しております。もっと知りたい。残りの人生、こういうことだけして生きていきたい。
・「怒り」と同じく吉田修一先生「悪人」
・島本理生先生「ファーストラブ」
・山崎豊子先生「二つの祖国」(これは映画じゃなくドラマスペシャルだった)
・湊かなえ先生「告白」
・山田宗樹先生「嫌われ松子の一生」
ファーストラブについては過去ブログも書きました。タイトルのわりに全然恋愛要素がないです。
最近だと漫画&ドラマでよしながふみ先生「大奥」が話題ですね。あれはね、最高です。
最近思ってることを全部書いたので満足です。それではまた。
出まっせ。もう予約したでしょ?
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かつて一人の時間がないないと騒ぎ泣いていたフルタイムワーママですが、子供が大きくなるのってまじであっという間で、気づいたら一人の時間しかなくなってるわ!うらやましいでしょ!みんな頑張ってね!