コロナ禍で仕事が忙しくなって、仕事が忙しくなると自分の専門知識に不安や迷いも高まって、ここ1年は法律関係の本ばっかり読んでいた。
たまたまた知人にすすめられて、久々に小説を読んだ。すごく面白かった。そうだそうだ、本って面白いんだ。物語は、小説は、私をどこにでも連れて行ってくれるんだとストーリーに没頭したあとで、現実とフィクションがごちゃまぜになって、しばらくぼーっとした。
感情が生々しいうちに、それを記録しておきたい。
ネタバレも含むし、北川景子さん主演で映画化もされるので、映画&小説を楽しみにとっておきたい人は楽天セールの回でもお楽しみください…
まず島本理生さんの「ファーストラヴ」って小説がすごく面白かった件

「ファーストラヴ」あらすじ
ある夏の日の夕方、血まみれで歩いていた女子大生が逮捕される。就職試験を終えたその足で父親の勤務先に立ち寄り、父親を刺殺したのだ。
テレビ局のアナウンサーを目指していた女子大生は容姿端麗でもあり、マスコミでも本件は大々的に取り上げられる。
臨床心理士である主人公はこの事件を題材としたノンフィクション本の依頼をうえ、本人やその周辺人物だちと面会を重ねていく。
その過程で、女子大生がなぜ父親を殺したのかが徐々に明らかになる。
夫の弟が当該事件の弁護人を務めており、刑事事件の模様も割と細かく描写されつつ、裁判を通して、主人公、弁護士、女子大生、それぞれの「過去」と「今」が癒されていく
「今」は、今の中だけじゃなく、過去の中にもあるものだから
女子大生の犯行動機をひも解いていくと、過去のトラウマや傷や、歪みが明らかになっていく。そしてそれは、中には「そんなこと」「その程度のこと」「たったそれだけのこと」だと大人たちに閉じ込めれてきた傷もあった。
現実世界でも、私たちは割と小さなことに少しずつ傷ついたり、違和感をもったりする。
でも、「その程度のことで騒ぐなんて」「これくらいのことでいちいち大げさにしなくても」と、自分や周りが封をしてしまうこともたくさんある。
「その程度のこと」が少しずつ積み重なると、やがて取り返しのつかない大きな傷になっている。実例を出さずとも、みなさんにも思い当たることはないだろうか。
「冷凍の海鮮丼なんてナンセンス、スーパーの刺身の方が安いだろ」
さて、ここから小説と離れて、自分語りをする。ここからは小説の話ではない。小説に海鮮丼は出てこない。
私は買い物のほとんどをネットで済ましており、ネット上のお得情報を日々集めてはツイッターで発信している。
また、このブログでも、楽天セールの攻略法やらAmazonタイムセールの情報やらを嬉々として発信している。
あるとき、Twitterに、こんなリプがあった。
「冷凍の海鮮丼なんてナンセンス、スーパーで買った方が新鮮だし安い」
まったくもってその通りだ。
事実 of 事実。
でも私は「なんで!!!わかって!!!!くれないの!!!!!」と、大いに傷ついた。
そりゃそうだ。何も説明していないんだから。
私は「冷凍の海鮮丼が家にあるとうれしい、しかも今なら半額で安い」としか言っていない。
それに対し、「スーパーでその日の新鮮な魚を買った方がもっと安い」というのは、まさしく妥当な指摘だ。
なぜ私は「スーパーの方が安い」に傷ついたんだろう
私はこのリプライにショックを受けた。いやわかっている。本当に、まさしく、「そんなこと」だ。傷つくに値しない。大人とおとなの、当たり前の会話だ。
なぜこれにショックをうけてしまったのか。
私は即座に、「理解してもらえない」と思った。
すこし説明したい。
私はフルタイムで働くシングルマザーだ。子供を0歳から保育園に預け、小学校に進学してからは学童に預け、時短を使わず、時には残業もする会社員である。
保育園・学童自体は延長を目いっぱい使って、いつも最後の数人になっていた。お迎え最終の時間に間に合うよう、会社→駅→学童を常にヒールで全力疾走する毎日だった。肺がちぎれるんじゃないかと思うくらい走ったあと、保育の方々が毎日笑顔で迎えてくれる。「お疲れ様、おかえりなさい」に涙ぐんだことも1度や2度ではない。
最近は学童を卒業し、いわゆる「鍵っ子」になった。真っ暗な部屋に一人で帰り、一人で暖房をつけて、私の帰りをじっと待っている。
私は自分の選択が毎日間違っているような気がしている。収入の面もあるものの、果たしてこれでいいのかと日々迷いながら働いている。
シングル家庭に限らず、共働きのおうちのどこにでもあるジレンマだと思う。
その日に食べる食事を、その日に買いに行けないことへの罪悪感がまだ私の中にある
そんなわけで、平日は、終業→帰宅→食事→宿題→就寝までが、分刻み(へたしたら秒刻み)の日々である。
スーパーに、その日新鮮な野菜や魚や肉を買いにいく余裕がない。作り置き、冷凍食品を駆使して、家にあるもので夕飯を済ませている。
だから平日に「生のおさかな」が食卓にならぶことはほとんどない。娘は海鮮が大好きだけど、スーパーに行ける週末か、ふるさと納税が届いたときしか食べられない。
冷凍の海鮮丼(漬けだけど)をみつけたときは「わーーーこんなのがあるんだ!うれしい!」と思って山ほど買った。山ほど買ったし、うれしくて何度もツイートした。
ただ、そんなこと、他人の知ったことではない。スーパーで買うほうが安いだろ、という指摘はもっともだ。
わたしは、「スーパーにその日の新鮮な魚を買いにいくこともできないダメな母親」と言われた気がした。言ってない。全然言ってない。わかってる。でも言われた気がした。
私のがわに、大きなコンプレックスがあった。
だから勝手に「そんなこと」で傷ついた。傷ついた、というのも恥ずかしいくらい些細なことだ。こんなことで被害者ヅラしていたら生きていけない。
私もいい加減、自分のなかにある「母親像」と決別して、フルタイムワーママの新しい生活様式を堂々と過ごせばいいのだ。
わかっていても、なかなかできない。
自分とは別の肉体が生きる景色
小説の話に戻る。もちろん女子大生は殺人事件を起こすくらいだから、私の海鮮丼の比ではなく傷ついている。登場人物それぞれに、大小さまざまな傷がある。
そして共通しているのが「加害者側」に、傷つけた自覚がない。被害者もまた、「自分のせいで、自分が傷ついた」ことを理解している。
これはたぶん、生きていく上で、避けようがない。
文庫版の解説の中で、朝井リョウ氏がこんなことを書いている。「想像することをサボれば、自分とは別の肉体が生きる景色を知ることはできない」。
違う肉体、違う過去、違う景色の中で生きる他人に対し、「自分の中のふつう」をぶつけることが、時々誰かを傷つけるかもしれない。
私が見ている景色と、となりにいる人が見ている景色は違う。それについて、自覚的でなければならないと改めて感じている。
ファーストラヴ読後感・私も、もっと説明したらよかったな
海鮮丼のくだりはまあおいておくとして、SNSでは私の言葉が足りなくて、びっくりするくらい攻撃的な意見をもらうこともある。
140文字では説明できないから書かなかった背景や前提や真意なんて、くみ取ってもらいたいなんて傲慢だということはわかっている。そういうときはそっと通知をオフにする。申し訳ない。
小説「ファーストラヴ」の読後しばらくして、自分のあれこれと重ねながら、せめて実生活では、家族や、友達や、同僚やパートナーと、もっと「今」に含まれる「過去」について、私や彼らが見ている景色について、勝手に傷ついたり傷つけたりする前に、説明できたらよかったな、と思った。
娘も大きくなってきて、これからこそ「会話」が大事だと思っている。このタイミングで読めてよかった。
ということで、今日は島本理生さんの「ファーストラヴ」について書くつもりが海鮮丼の話をしました。小説はやっぱり面白い。たくさん読みたい。おすすめがあったらぜひ教えてください。
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