フルタイムワンオペおかんがコロナ禍2020年を振り返る

フルタイムワンオペおかん、ママピコです!どうも!

今年はちょっととんでもない1年でしたね。こんな1年ある?さすがにこの1年はノーカウントじゃない?去年と同じように一歳平等に歳とるの、なんか納得いかなくない?

あらゆる業界の、あらゆる方々が本当にご苦労されていることと存じます。1日も早く、平穏な、新しい美しい世界にたどり着きますように。

今日はただただ、この異常な1年を忘れないように、個人的に振り返りたいなと思います。

ママピコ
ママピコ

後厄中間管理職。小学生の娘がいるシングルマザー。
仕事はしがない法務職です。フルタイム勤務。

1月、なんか中国の方でざわざわしてる?対岸の火事をながめるお正月

冬休みは娘と2人で神戸に旅行に行ったり、2歳の甥っ子を預かったり、京都に旅行に行ったり。
中国から帰国した日本人が肺炎発症などというニュースが流れてきて、「えーこわいね」などとのんきにお取り寄せおせち等を食べるお正月。

オリンピックの制服が決まったり、いよいよだなあとワクワクする。

娘の成長があまりにも早いので、「お金を、経験に変えていこう」というのが年始の決意。3月で学童保育を退所することが決まっていたので、春休みの居場所確保として、2週間のマレーシア短期留学を申し込んでいた。

あと好きなアーティスト2組のライブも申し込んだ。珍しく抽選に当たり、4月と5月のライブが楽しみ!(娘はその間マレーシアだし!)

1月にひいたおみくじには「収入アップ」「恋愛:次の段階に進め」とあった。

縁談に至っては「失敗しても後がいい」

12月時点のネタバレですが会社の業績がTOO BADでボーナスが3桁万円(!)下がりましたし、恋愛については一切の動きなし。

あと全然関係ないですが「超盛ブラ」も買いました。ビックリしました。

2月、ダイヤモンドプリンセス号事件、USJ営業自粛など

対岸の火事だった肺炎が、いよいよじわじわ日本にやってきたと聞く。とはいえ初旬はまだまだマスクをしている人は稀。

普通に学年合同の合唱の発表会とかもやってたし、中旬くらいまでは危機意識は低めでした。

が、中盤。クルーズ船で70名超の感染者が出たりして、いよいよ人々は「やばいぞ…」と思い出します。私も、あれ❓マレーシアとか行けるんか?と不安になってきました。

2月17日、東京マラソンの一般参加が中止になった。もしかしたら本当にやばいかも。会社もざわざわしはじめる。危機対策委員会が設置され、私もそこにジョイン。とはいえ、何がどうなっていくのかわからず「不可抗力か?」みたいな机上の空論をたれながしていたように思います。

毎月のように遊びに行っていた京都の「漢字ミュージアム」も、マスクをつけていきました
DJママも、病ダレに布で、「マスク」という漢字を考えました。

そして2月終盤。娘の学年でインフルエンザが爆発的に流行。そして2月最終週、1週間学年閉鎖。まじかーーーー娘感染してないのにーーーー。該当の学年は学童も利用できないので、仕方なく、私は半休やフレックスを駆使して、子供の面倒を見たり仕事をしたり。

娘は突然の学年閉鎖だったので特に宿題も出されておらず、のんきにswitchなどして暮らします。

娘を留守番させて出社した2月下旬。

「小学校を臨時休校といたします」

まさに青天の霹靂。我が家ももちろんのこと、会社も、パパママ社員が出社できるのか!?ほかの社員でカバーできるのか!?てんやわんや。

3月、臨時休校。

2020年で一番混乱した3月。
学校はなくなった、仕事は山盛りある、学童は「医療従事者のお子さんを優先的に…」というスタンス。

私の職場はお子さんが乳児・幼児の方も多く、小学生のママである私が休むわけにもいかない。在宅勤務を導入せざるを得ないなとシステム部門と連携し、セキュリティ面の環境を整えたり、どう業務を進めるか考えたり。各部の管理職で集まって会議&会議(何も決まらない)。

在宅勤務ができる/できない、で会社の悪口をいう報道をたくさん見かけたが、「いや頑張って考えてるからちょっと待って~~」てな具合。

従業員からは「会社の対応が遅い」とキレられ、消費者からは「ちゃんと営業しろ」とキレられ、部下には「子どもどうしたらいいんですか」と相談され、私も私で娘を留守番させるしかなく、いや無理だ、これは無理だ、と精神的にも限界を感じていた(いや保健所とか医療関係者の方に比べたら大したことないんだけどね)。

4月、緊急事態宣言。半分ほっとしました

休校中は時間割を作りました

誤解を恐れずに言うと、緊急事態宣言がでて、ほっとした。

もう3月の時点で、職場は完全に疲弊しており、「在宅勤務するのしないの?」「事業を休むの休まないの?」「お客さんからのクレームを誰がどううけるの?」という微妙な判断ができないままバタバタと人が倒れていき、子供の学校もどうなるかわからない。

このあたりのあらゆる宙ぶらりんな状況が、「緊急事態」という一言により、「もうあきらめましょう、感染拡大防止に舵をきりましょう」という感じになった。

とはいえ、休校×在宅勤務はふつうに無理すぎたので、4月5月が限界だった…。ほんまに…学校って…ありがたいでほんま。それはそれとして、子供の勉強と真正面から向き合う、本当に貴重な期間だったと思う。

フルタイムワーママとはいえ、小学生の勉強にある程度コミットすることは割と大事なことだと痛感。

5月、在宅勤務を極める

我が家は基本リビング学習だったんだけど(家具を増やしたくないし娘も特に学習デスクを欲しがらなかったので)いよいよ長引きそうだなと思ったので押入れを改造して子供のワークスペースをつくった。

私はキッチンを改造してオフィスを作る。

これまで定時ダッシュをせざるを得なかった育児社員、在宅勤務になることで際限なく仕事ができてしまう(管理職なので残業代もつかないし)。本当にキリがなく、1日16時間くらい働き続けたり土日も同じペースで働いてしまったりしたのでそろそろよくないなと思い、あえてお酒を飲んだりするようにして能動的にスイッチを切り替えるようにした。

リングフィットアドベンチャーフィットボクシングを毎日朝晩やった。娘にもやらせた。この2つのソフトの優れているのは、「マンションでもできる」ことにすごく配慮していることだ。特にフィットボクシングは上半身を動かすだけでもそれなりの運動量になるので、ドンドンしなくて本当によかった。

体をしっかりクタクタにして、寝た。

6月、学校再開、仕事は9割がクレーム対応

学校が再開するも分散登校、給食はまだない。しかし会社は会社で動き出してしまったので、在宅ではまわらなくなった。やはり、「対面で相談する」「部署と部署の機微をキャッチする」ということについては現場にいないとできない。

娘と自分の行動を毎日A4の紙に書いて、朝に娘としっかり共有して、お互い不安のないように暮らした。

総務部だけで代表電話がまわせなくなるレベルでクレームの電話がかかってくるので応援に行ったが、1日中怒鳴られっぱなしであった。私がコロナ撒いてるのかな?と思うレベルで怒られ続けた。

同僚は難聴になった。

7月、救いを求めて文学に没頭した

図書館が再開した。毎週末通いつめ、小説をかたっぱしから読んだ。棚の端から端まで、といった借り方をした。ワイドショーやニュースを見ていると気持ちが滅入ったので、この時期に文学に没頭できたのはよかった。

図書館の後には娘と近所の川や湖に行った。ライフジャケットを毎週使う。特殊な夏だった。

私もギリギリだったし、同僚もギリギリだった。この頃からメンタルに起因した休職が増えだした。

8月、GoToトラベル使い倒す夏

GoToトラベルが始まった。はじまった、というか、いきなり始まって何も決まっていなくて後からポイント還元します、的な感じだったのだけど思う。

我々は週末のたびに辺境の地で静かに暮らした。GoTo施策には賛否あるだろうが、観光と交通が死んだらこの国は死ぬのだ。私たちは静かに移動し、黙って食事し、静かに寺を見て、湖で泳いだ。村上春樹の小説のような旅を1ヶ月に4回した。

ロボットがチェックインからチェックアウトまでやってくれる

京都の「変なホテル」は滞在中本気で誰にも会わなかった。

GoTo関係なく、私は普段から暇さえあれば娘とビジネスホテルに泊まっている。家事から完全に開放されるから。本を読んだり本を読んだり本を読んだりして過ごす。清潔な部屋で本を読めるだけで十分に幸福なのだ。娘もホテル滞在中はなぜか結構本気で本を読む。

このころは麒麟がくるに夢中だったので(今もだが)比叡山延暦寺、福知山城など、岐阜・滋賀・京都を巡礼した。娘もやたら戦国時代に詳しい小学生になった。

9月、アフターコロナからウィズコロナへ。ブログを開設

ひきつづき長谷川博己を愛でる日々。歴史の本を40冊くらい購入している。おそらくインプットで悶々としていたせいだろう、あるときワードプレスの記事を見て衝動的にこのブログ「ママピコ」を開設した。そのタイミングで見たのが「ママブログ」だったので、ママブロガーとしてやっていくつもりだった。

仕事はようやくクレーム処理が落ち着き、ウィズコロナ時代の新規事業開発が本格稼働。私も法務としてジョインした(言いたいだけ)。このときに「希望の法務」には助けられた。

「私はリスクを提示しましたよ、あとは事業部で判断してください」という姿勢で仕事をした気になっていないか、ということを何度も自分に問うた。私の財布で仕事をするつもりで、割と何でもかんでも首をつっこんで仕事をした。

10月、ブログを書きながら「私ってなんだ?」を考え続けた

年間行事をセブンイレブンでこなした

9月20日に始めたブログをどういう風にするのか、ブログ界の大家のnote等拝見しいろいろ考えた。「自分に何がgiveできるのか」みたいなこと。結局いろいろ迷走したものの「書きたいことを好きに書こう」というところに落ち着いた。

別に誰も私に何かをもらおうと思ってないだろうし。

11月、楽天ROOMにハマった。

絵日記をずっと書いていて、たまにインスタにアップしたりした

「楽天ROOM」という楽天のサービスがあって、買ったものとかほしいものをただただアップするだけのサービスなんだけど、楽天側がオススメするものよりユーザー視点でおすすめするもののほうが面白いよな、と思った。

私はこれでお小遣い稼ぎというよりも、「属性が同じ人」を見つけて、「その人たちがどういうものを買っていて」「どういう暮らしをしているか」を覗き見るのってすごく楽しいな、と思っている。

ここから派生して、「楽天で買ったほうがいいもの」「100均で買うほうがいいもの」「スーパーで買ったほうがいいもの」を整理した。

12月、ビジネスロージャーナルが休刊、企業法務のキャリアについて考えた

ずっと定期購読してきた企業法務雑誌「ビジネスロージャーナル(BLJ)」が休刊になって、企業法務って何だろうな、ということを結構悶々と考えている。

会社もギリギリのところでどうにか踏ん張って、ニューノーマルを生き残ろうとしている。私ができることは何か、ということを結構真剣に考えたりしている。

コロナはコロナで第三波がやってきて、ここを乗り切るために何ができるか、ありとあらゆるビジネスモデルを研究する日々(←イマココ)

いやそれにしてもコロナ&コロナでしたな!

今年はまあ、何せコロナ&コロナでしたね。

教訓:人にやさしくできるのは、自分に余裕のあるときだけ。

優しくあるために、よゆうを持って生きたい、とつくづく思った。

来年は、やさしくなりたい。

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