東大ミスコン騒動と、セクハラも仕事のうちと許容しつづけた私の末路

東大ミスコン騒動 怒りと悲しみがおさまらない!

東大ミスコン騒動で、私もいろいろ思うところあり、
主に私のセクハラ論について
備忘録としてまとめておこうと思います。
(騒動についてはさらっと触れるだけです、真相はわからないから)

東大ミスコン騒動の流れ

東大ミスコンから考えるセクハラ論

時系列としてはこんな具合
①東京大学のミスコンテストの候補者がセクハラや金銭的な問題をSNSで告発
②ほかの候補者がそれに異を唱えるなど、あれやこれやで油が注がれ、
③本日(10月17日)、運営側が謝罪した

東大ミスコン騒動における「セクハラ」とは

・お披露目会?的な場所で、性的な内容の質問が複数回あった
・本人はそれに対し「不快なセクハラ」であったと主張
・ほかの候補者は「回答は強制でなかったし、大学生的なノリだった」と
 私見を述べている

セクハラに耐えないと生きていけない社会なんて滅びたらいい

今回の騒動の当事者はそれぞれ全員現役大学生であって、
憶測で誹謗中傷合戦みたいなことを外野が巻き起こすのは
大人として正しくないと思うので騒動についての言及はここまでにします。

ただ、この一連の騒動のコメントに、
「この程度でセクハラとかいってたら社会に出たときやっていけないぞwww」みたいなご意見が散見されたので
「そんな社会は滅びてしまえばええねん」と憤り、真夜中にブログを更新する次第です。

セクハラを受け入れ続けた20代、それが自分の価値だと思っていた

東大ミスコンに悩む

私が法律事務所の次に入社したのは大手メーカー。
それはそれは男社会でした。

組織の中に女性は極めて少なく、20代の私は「女の子」と呼ばれました。
「あの、法務に新しく入った女の子」
「ねえ、そこの女の子」

さすがにお茶くみ・コピーみたいな時代ではありませんが(平成中盤です)、
「接待飲み会があるから若い女の子に来てほしいんだ」というオーダーが、営業部門から平気でやってきました。
そして、私はそんなお誘いにへらへらと、それはもうへらへらと馳せ参じました。

「彼氏いるの?」
「初体験はいつ?」
「何カップ?」
そんな質問にも、ニコニコして答えました。「もー!やめてくださいよー!」

それが、自分の仕事だと思っていました。

専門知識もなければ実務経験もない。業務で会社に貢献できるのはまだまだ先。
せめてニコニコして、場を和ませて、お酒をついで、ちょっと性的な質問にもこたえて。
そうすれば接待も楽しく終わり、業務も円滑に進み、自分の評価も上がるのだ…と。

お酒のまわったお偉いさん方にボディタッチされても嫌な顔ひとつせず、ニコニコしてタクシーをお見送りする日々。
自尊心がゴリゴリと削れる音がしましたが、仕事だから、と聞こえないふりをしました。
お局さんと呼ばれる50代のお姉さん社員に指南をうけ、あの社長はこっちのワイン、こっちの部長には熱燗をお出ししなさいなど、
覚えることのたくさん多い日々でした。

時には、大切な取引先の方だから、粗相のないようにね、とだけ言われてタクシーに二人きりで押し込まれ、
ホテルに行くいかないの小競り合い。
「また今度」でのりきって車を降りた後、胃の中身を全部公衆トイレにそっくり出してしまったこともありました。

結局男の子ばかりが出世していった

気が付けば20代も後半。同期がちらほら出世していきます。
あるときキャリアプランの面談で、上司にこんなことを言われました。

「まあ、ほら、君は女の子だからね、これからもニコニコ楽しく頼むよ」

あれ?私いつまでそんなこと言われ続けるのかな?

それなりに仕事も覚えて、週末は勉強して、知識と経験をコツコツ積んできたつもりでも、「まあ、女の子だからね」で、キャリアの話はおしまい。

突然、「自分は消費された」という感覚が襲ってきました。
もやもやしたものをかかえながら、結婚し、そのあと妊娠。
私は、セクハラとここから急激に向かいあうことになりました。

「そんなおなか、みんなに見られると恥ずかしいでしょ?」

すこしずつ大きくなるおなかを抱えながら、それでも私は仕事が好きでした。
つわりと戦いながら、どうにかこうにか、それなりに必死に働いていたつもりでした。

別の支店から多くの重役が集まる会議がある朝でした。
あらゆる準備を万全に済ませたつもりでした。
私の大切にしていた仕事のひとつでした。
上司がふと、私に言いました。

「今日、出席しなくていいよ。そんなおなか、みんなに見られると恥ずかしいでしょ?」

がーん!!!!

そんなおなか!!!!

はずかしい!!!!!

おなかがでていて恥ずかしいから、という理由で、参加しなくていいと言われる、
私はいったいこの会社で、なにをしてきたんだと、目の前が真っ白になりました。

上司は実際本当に悪気なく私を案じてくれたのだと思います。
お子さんも3人いる人でした。
自分の奥さんが妊娠したとき、そんな風に思ったのでしょうか。
そして、私に対しても毎日そう思っていたのでしょうか。

「えへへ、そうですよねーみんながっかりしちゃうから」それでも私はわらって、会議室を出ました。

後輩女子が耐えきれず退職

私が産休に入る直前に異動してきて、私の仕事を引き継いでくれた後輩の女性社員がいました。
いつも笑顔の、明るい女の子でした。
しかし私が産休に入ってから数か月後に、彼女は退職してしまいました。

「(私)さんなら許してくれたけど?っておじさんたちが触ってくるのが本当につらい」

彼女は泣きながら、私の仕事を引き継げなかったことを謝ってくれましたが、
私は自分の浅はかさと過ちの大きさに、言葉が出ませんでした。

私がセクハラを笑って見過ごすことで、おじさんたちはその害悪に気が付かないまま、被害者を増やし続けてしまった。
私は加害者の一人としてセクハラに加担した。
彼女の心の傷を思うと、本当に本当につらく、申し訳ない気持ちでいっぱいになります。

10年、社会は少しずつ、前進している。

当時はSNSなんて一部の人しかやっていなかったし、コンプライアンスなんて言葉も、専門用語みたいな扱いでした。
きっと私は、「女の子」の壁を越えられるだけの仕事をしてこなかった。
だから最後まで、「女の子」でしかなかった。
そしてセクハラに耐えて耐えて耐えて、結局、ろくでもない連鎖を生み出してしまった。

私はその後その会社を退職し、
「女の子」でなく「仕事」を評価してもらえるように、さらに勉強することにしました。
(サレ妻になったり離婚したりパートしたりを経て…)

現在、私は、コンプライアンスデスクを立ち上げ、社員の相談にのっています。

飲み会に行かなくても仕事で評価してもらえるし、
嫌なことはいやだと言わないと、相手は気が付かないし、
相手が嫌がってるのにセクハラしちゃう人はめちゃくちゃださいよということを発信し続けています。

窮屈な時代になった、とよく言われます。
俺らが若いころはもっとめちゃくちゃだったよ、と笑われるときもあります。
そう、めちゃくちゃだったんですよ。

だれにも相談できない不快感が体と心に澱のように蓄積し、
自尊心がゴリゴリと削れ、自分を嫌いになり、泣きながら、無理やりのまされたお酒を吐きながら、
それでもニコニコしないと「空気が読めないやつ」とののしられる、めちゃくちゃな時代だったんです。

そしてその「あたりまえ」をおしつけてきたのは、私を含めた女性たちでもあったのです。
自分たちも我慢したのだから、あなたも当然そのくらい我慢してよね、という、無言の圧力を、押し付けてしまった。

まじで。

大事なことだからもう一度言います。

セクハラを我慢しないと生き残れないのが社会なら、
そんな社会は滅びてしまえばいい。

窮屈になったかもしれませんが、不幸な被害者が一人でも減って、健全な社会になればいいと心から思います。

そして東大ミスコンの候補者のみなさんが今回の騒動を踏まえ、知的で聡明な女性としてそれぞれ活躍してくれることが楽しみでなりません。
運営側も、社会に出る前に、「令和の感覚」を身につけられたことを「強み」に、
日本の広告業界に羽ばたいていってほしいです。

そして最後に大人たち。
東大とはいえ大学生の彼ら彼女らを温かく見守りましょう。
誹謗中傷はやめて、自身の行いを見直しましょう。

わたしたちは進化の途中にいる。
男も、女も、働くひとも、育児をするひとも、働きながら育児をするひとも、それぞれが尊厳をもって、共闘しましょう。
だれも敵ではないはずです。

おなか一杯の長文失礼しました!

参加しています。
元気に生きているシングルマザーたちの日常をのぞいてみてください。

タイトルとURLをコピーしました